https://www.lifedesigncounseling.com/2026/05/16/%E5%BF%85%E3%81%9A%E4%B8%8D%E5%B9%B8%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9/

 

必ず不幸になる生き方

 

-ミズノ先生のカウンセリングノート-

 

 

 

1話 誠実

 

誰もが誠実に生きたいと思っている。誠実は英語で、integrityといって、「道徳的な原則や倫理に基づく一貫性や高潔さ」を指し、個人の価値観や信念に忠実であることを強調します。日本語の誠実は、「真心をもって相手のことを考えながら行動する態度」としています。つまり、誠実な人は他者に不快な感じや迷惑をかけることがないというのです。

 

 著者はカウンセラーという仕事で、「誠実」に生きるはすごく難しい挑戦であると思う場面によく出くわします。多くの人が誠実に生きたいと思っていても、ひどく不自由な感覚の襲われてすくんでしまうことが多のです。誠実がテーマとなるカウンセリングの現場を覗いてみよう。カウンセラーであるミズノ先生の面接室を訪れたのは、30代の男性、教員をしているジローさんです。

 

 

 

ジロー「相手のことを考えながら行動するようにと親に教えられました。いつも周りの状況を観察して、自分のことよりも周りの人を優先する習慣があります。それで、周りの人の望みには敏感ですが、自分は何をしたいかいつもよくわからないのです」

 

ミズノ先生「ジローさんは、自分のことよりも周りの人を優先させるのですね。それが、役に立ったことがありますか?それとも損になりましたか?」

 

ジロー「私は教師をしているのですが、ある生徒がメールをしてきて、先生だから何か特別な返信がいただけると思ってメールしましたと書いてあるのです。しかも長文で10問の細かい質問がありました。返信しないのは誠実でないと思い長時間かけて丁寧に返信を書きました。ところが、返信の内容が気に入らないので、さらに長文の質問がきました」

 

ミズノ先生「それは大変でしたね。長文のメールは控えるように決まっていないのですか?」

 

ジロー「はい、そういうルールはどこかに記載してあると思います。この生徒は、きっと親から丁寧な扱いを受けていないと思い、愛情のつもりで返信しました」

 

ミズノ先生「ところが、当の生徒は返信の内容に疑問を持ったのですね。それでさらに返信への疑問を質問してきたのですね」

 

ジロー「悩みの解決になるだろうと、誠意をもって質問に答えました。それが新たな問題なってしまいました。迷ったのですが、結局、メールで返信するのを止めました」

 

ミズノ先生「なるほど、誠実に返信しても、その努力は報われなかったのですね」

 

ジロー「はい、それでさらなる質問に回答を控えたのです。ところが、今度は「返信がないのは、やはり先生らしいのですね。私のことなどどうでもいいのですね」。とメールが来ました。私は、誠実ではないようです」

 

ミズノ先生「なるほど、メールに返信してもダメ、返信しなくてもダメ、という具合ですね。それって、完全なる選択のジレンマですよ」

 

ジロー「私は、誠実に生きようと思うのですが、どうもうまく生きられないようです」

 

 

 

誠実には、いつもやっかいなストーリーが伴います。行き詰まるか、すくむか、誠実でいられないことになり、結局、誠実でない自己を攻撃して終わります。ジローに長文のメールで10問の質問をしてきた相手は、メールに最後に最高のしかけをしました。「先生なら他の人を違って、質問に答えていただけると信じています」と記載をするのでした。ジローは完全に誠実という罠にはまってしまったのでした。

 

誠実という仕掛けには、もう一つの伏線があったのです。

 

ジロー「母はいつも言っていました「人様に迷惑をかけてはいけません」と。いつもこれがやっかいな課題になるのです。迷惑をかけることができないのです。罪の意識が強くなり、結局、自分のしたいことができないでいます」

 

ミズノ先生「それはやっかいな問題ですね。他者が不快な思いを感じたり、不誠実だと思ったりするのは、ジローさんにとって重大な道徳違反になるというのですか?」

 

ジロー「はい、母親に悲しい思いをさせたくないですから。いつでもいい子だと思ってもらいたかったです」

 

ミズノ先生「なるほど、他者からの期待を裏切ることは、母親への愛情を裏切ることになるのですね」

 

 

 

誠実はやっかいな道徳です。特に、他者が誠実を武器に使うと、道徳的に生きる人間を切り裂くことができます。誠実を口実にして真面目に生きる他人をコントロールする武器になるのです。

 

 誠実は、二者択一のジレンマというのが大きな落とし穴になる。どちらを選んでも正しい行為なのですが、どちらも行き詰まる選択肢となります。何かしら、熊になったような気持ちです。2025年は日本の熊にとって最悪の年になりました。山に残って空腹で死ぬか、あるいは都会に出て腹を満たすが、結局生き残ることはできない。どちらを選んでも、行き着く先は死となる。誠実は、このような究極の選択を迫ることがあります。

 

 太宰の「走れメロス」のメロスは、究極のジレンマに陥りました。友との約束を守り走り切るか、それとも裏切って安全を選ぶかを選択することになった。メロスは、友人がメロスの代わりとして斬罪される約束の日時に間に合い、自分が死刑になると知っているのにも拘わらず、友の命を守るために約束を守った。このストーリーのテーマは友情となっている。約束を守らないと友を犠牲にして自分が生き残る。約束を守って王の前に参上しても死刑になる。ところが奇跡が起きて、本来は人間的な王であるデオニソスが友情を確認する友人の輪に加わり、共に友情を称えたいと願ったことで、メロスの命は助かります。

 

 友情、信頼、約束、誠実などの美徳は、多くのジレンマを経験するように運命づけられているようです。誠実は、いつも試練で試される美徳であることを忘れてはいけません。試練に耐えることができない誠実は、弱い徳になり、誠実を実現しようとしても滅亡することになるでしょう。では、どうしたら誠実でありながら無難に生き残ることができるのでしょうか?この問いの回答は、道徳教育には用意されていません。道徳教育は、ただ誠実に生きなさいと唱えるだけです。

 

ミズノ先生ならば、誠実に生きることへの疑問にどう答えるでしょう?

 

 

 

ジロー「つまり、誠実に生きると必ず試練に会うというのですか?」

 

ミズノ先生「そういうことになります。ジローさんのお母さんは誠実に生きる大切さを教えてくれましたが、誠実に生きる難しさは教えてくれなかったのですね」

 

ジロー「誠実に生きると、必ず幸せになると言っていたような気がします。誠実は生き方なので、自分で決めて生きていけると言っていたような気がします」

 

ミズノ先生「多くの生き方があり、そこから誠実に生き方を選び、責任をもって誠実に生きる、そしてその結果を受け入れる。そのような意味でしょうか」

 

ジロー「選ぶというのは言っていたようですが、その先の、誠実に生きて、その結果を受け入れるという話しはなかったです」

 

ミズノ先生「選ぶということは、自動的にその結果を受け入れることになります」

 

ジロー「誠実に生きると、信頼を得て、いい評判が出来て、結果、自動的に幸せになるでしょう」

 

ミズノ先生「確かに、そういう一面はありますね。しかし、誠実に伴うある種のリスクについては、誠実な説明あるとは限りません」

 

ジロー「確かに、誠実に生きるはつらい経験もついてきますね」

 

ミズノ先生「そうです。人を裏切らない、がっかりさせないは美徳です。その証拠は、誠実と全く反対の不誠実の代表的な人物が存在することです。誠実の反対である不誠実の存在で、人は誠実の価値を知ります」

 

ジロー「そうか、母は誠実でないとどうなるかを話していました。結末は、信用されなくなり、人が去っていくと」

 

ミズノ先生「それで、人の間違いに誠実になる、人の愚かさに誠実になる、人の弱さに誠実になることができますか?」

 

ジロー「どういう意味ですか、まったく言っていることが理解できません」

 

ミズノ先生「誠実に生きるには、強さが必要です。人は弱いもので、誘惑に負けることもあるし、真面目に働くことに疲れることもあるし、人との約束が果たせないこともあるし。完全に生きることは不可能に近いです」

 

ジロー「確かに子どものころは、世界は単純なので、正しく生きるはそんなに困難なことではないと思いました」

 

ミズノ先生「ジローさんは、人のことを羨ましく思ったことがありますか?だましたくなることがありましたか?さぼりたくなったことがありますか?弱い気持になり、無力になって、しなくてはいけないことをしなかったことがありましたか?」

 

ジロー「・・・ 認めるのは悔しいけれど、そんな完全な人間でないし・・・」

 

ミズノ先生「悲しいことに、人間は正しき生きるほど強くはないのでしょう。確かに、少数の誠実に生きた人の実例はあるでしょうが、その人たちはつらい試練に会っています」

 

ジロー「それでは、完全でない弱い人間が誠実に生きることは不可能というのですか?」

 

ミズノ先生「学校で教える道徳は、強い人間を前提にしています。荒波を乗り越えて、強く生きる人間が理想です。しかし、実際は、人間はそれほど強くはないのでしょう」

 

ジロー「それでは、誠実でない生き方を選んでもいいという意味ですか?」

 

ミズノ先生「そういうことになりますね。実は、別の選択肢があります。それは、英雄になることなく誠実でいる方法です」

 

ジロー「なるほど、英雄にならない誠実ですか」

 

ミズノ先生「自分の存在がいかに弱いか、さらに愚かということを知って、そのような醜い事実を受け入れていても、誠実でいる方法です」

 

ジロー「考えてこともありませんでした。私は誠実であるためには、強い人間いなければいけないと思っていました」

 

ミズノ先生「ここでは、宗教的な信仰について話すのを避けて、人間らしく生きる道徳という話にします。宗教は弱い人間が神を信じることで数々の難関を乗り越えることができると教えます。道徳は、人間社会で生きる人間に必要な生き方を教えます。弱い人間は、他者の支援が必要です。また、弱さを知っているので、できないことを受け入れて、周りの人にそのことを宣言します」

 

ジロー「そうか、例外的に強い人間がする道徳と、普通一般の弱い人間の道徳は種類が違うというのですか?」

 

ミズノ先生「もちろん英雄的行為としての道徳は美談として人類文化の象徴として記録する必要はあります。しかし、誰もが同じ英雄的な行為ができるわけではありません。一般の人ができる英雄的行為は、人の間違いや弱さや愚かさをゆるす行為でしょう」

 

 

 

多少、話しが複雑になってきました。学校で教える道徳は、望ましい結果だけを強調して、複雑な社会を無視しているようです。あるいは、英雄的で代表的な象徴となる行為を取り上げて、褒め称えて、皆にそのような行為を実行することを望むという説明なのでしょうか? ミズノ先生は、普通の人の行動には英雄的な行為に匹敵する崇高な道徳的な実践があるというのでしょうか?

 

 

 

ミズノ先生「表現を変えましょう。緩やかな誠実でしょうか。堅い誠実ではなくて。ジローさんの誠実でいようは、どことなく不自由を感じ、生きにくさを伴うようです」

 

ジロー「確かに、苦しくなります。誠実は人に利用されることもあります。誠実を口実にして、非難攻撃の材料にもなります」

 

ミズノ先生「いいことに気がつきました。誠実に違う名前をつけてみましょう。人柄のよさなどはどうでしょうかね。好感が持てる人、いっしょにいて欲しい人、なんとなく安心できる人」

 

ジロー「なるほど、誠実で生きるは何となく苦しさを感じますが、好感の持てる人となると気持が明るくなりますね。呼び方を変えるだけで、こんなにも大きな変化があるのですね」

 

ミズノ先生「ジローさんのいう誠実な人は、人柄のよさ、好感のもてる人、気持ちよく交流出来る人でもあるのですね。面白い本を紹介しましょう。長寿企画という本(the longevity project)です。誠実に生きることが長寿と最も関連がありました。80年以上にわたり1500名ほどのIQ140以上の才能に恵まれた子どもたちの生涯から明らかにされました」

 

ジロー「それは驚きです。誠実に生きるのはストレスが多くて、難しいですよね」

 

ミズノ先生「研究者たちは、誠実を几帳面さ、責任感、自己管理能力と定義しました」

 

義男「なるほど、自己管理能力は理解できます。幸福になるよりは、地道で慎重に生きる人をいう感じですね。それならば、私にも当てはまります」

 

ミズノ先生「危険な行動をする、医者のアドバイスに従わない、真面目に意味のある役割を持ち続けることのほうが長寿で幸福な生活と関係が深いようですね」

 

ジロー「楽しく生きることではなくて、真剣に生きることが大切ということでしょうか」

 

ミズノ先生「よいポイントです。実はこの研究だけでなく、もう1つの研究も紹介しましょう。ロバート・ウォールディンガーの『グッド・ライフ』(Harvard Adult Development Study)です。ハーバード大学の80年以上の追跡研究です。その研究結果として、幸福と健康の最大の予測因子は良好な人間関係であり、成功・収入・地位よりも関係性が重要という報告です」

 

ジロー「なるほど、幸福で健康な生活で重要なのは、良好な人間関係ですか」

 

ミズノ先生「そうですね。成功、収入、地位ではなくて人間関係が良好ということが結果的には、幸福への近道なようです」

 

ジロー「私のいう誠実な人生は、人間関係よりは道義的に正しいことをすることを大切にしていました。誠実を目指しても人間関係を壊すことは、結局結果が悪いのですね」

 

ミズノ先生「英雄の行為は賞賛されて、見本のように思われています。史実では、例外的な英雄的な行為によって、人間関係が壊れて、孤独な英雄が生まれます。普通の人間の英雄的行為は、成功よりも人間関係を優先します。道徳の教科書は、英雄の行為を賞賛過ぎて、単純化して、英雄的な行為の神髄を示す傾向があります」

 

ジロー「なるほど、誠実でいるとは奥が深くて、80年以上の長期研究によって、誠実という本質が明らかになったようです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2話 迷惑をかけない

 

いつの時代でも人類には共通の黄金律があるとします。人を殺すなかれ、他人の物を盗むなかれ、法律違反をするなかれ、他者の嫌がることをするな、等々。ところが、近年、この金の文字で書かれた律法が怪しくなっています。人を信じることができないとサブローさんは訴えます。

 

 

 

サブロー「医者の受け付けで、前の人が高齢者で受け付けカードを出すのに手間取り、面倒くさいなと思って我慢強く待っていました。ところが、後の人がいきなり横からはいってマイカード登録をしてしまい、看護師も受け付けてしまたんです。待っていましたと言ったら、その人は舌打ちをして睨み付けてきます」

 

ミズノ先生「それは嫌な思いをしましたね。マナーを守って待っていたのに、先に行かれてしまったのですか」

 

サブロー「こんなことはたいしたことはないですね。最近、わからないことが多くて安心できません。会社の規則もいきなり変更してびっくりしました。定年が過ぎてもあと5年は働けるという不文律があったのですが、突然に定年の規則ができて定年以降働けなくなりました」

 

ミズノ先生「いろいろとびっくりすることがあるのですね。当然と思って想定したことがそうでなくなるというのですね」

 

サブロー「そうなのです。当然と思って想定していたことが、違うという具合です。定年の3ヶ月前に、職場で定年退職の送別会をしなければいけないのでどうしますか、偶然に出会った道路上で、問い合わせがありました。言い方が雑だったし、しなければいけないという言い方が押しつけるようなので、遠慮しますと答えました。話しのついでで面倒くさそうに言っていたし、私も送別会を特別に開催してもらえるような活躍もしていなくて、恥ずかしくて、申し訳ないという気持が強かったのです。ところが、職場はとんでもないやつという噂が立ってしまいました」

 

ミズノ先生「サブローさんの課題は、人に迷惑をかけることが嫌なので、特別な配慮は遠慮するということでしたね」

 

サブロー「負担になって、申し訳ないし、私のような価値が少ない人間には無駄な負担をかけたくないのです」

 

ミズノ先生「そうでしたね。人に迷惑をかけないようには、お母様の教えでした」

 

サブロー「母は誕生日の祝ってくれたことはありませんでした。誕生日はあなたが感謝する日だといって。でも、矛盾はありました。兄の誕生日にはプレゼントを用意して、そんな時は、母は妙にうきうきしていて。私が小学校5年のとき母は兄のプレゼントを偶然に廊下に落としてしまいました。私それをちらっと見て、プレゼントの中身がわかったことがありました。腕時計でした」

 

ミズノ先生「それはびっくりしましたね。サブローさんは、誕生日のプレゼントをもらったことはないのに」

 

ミズノ先生「サブローさんには、遠慮して損をしたエピソードがまだありそうですね」

 

 

 

サブローさんがカウンセリングを求めてきたのは、遠方の父親が癌で入院しているので、サブローさんは父親と和解ができていないことです。サブローさんは、父親を嫌っていると思っていたのですが、父の死を意識して、喪失と父を嫌う自分を許せない気持について相談を求めました。サブローは、いい子で親に愛されなかった自分を赦すことができませんでした。

 

 

 

サブロー「父親が癌で死ぬのかと思うと、自分の課題がまだ解決していないという思いが強くなりました。父を嫌っていると思っていたのですが、父親のことが愛おしくも思えるのです。もっといい子でいたいという強い思いもあるのです」

 

ミズノ先生「お父さんの死を感じると、自分の死について思いを巡らすものです。お父さんとの間には、未解決なことがあるのですね。その問題が解決しないで父が亡くなると思うと不安なのですね」

 

サブロー「いい子でいたかたのですが、小学校5年生のときに、朝ご飯のあとで突然に、父はある同級生と較べて、おまえは何というみすぼらしい奴かといって、思い切り両ほほを数発殴られました。あまりにも強いビンタだったので、あっというまに頬が腫れて、手の後が真っ赤になり、頬が腫上がりました。母親からは、学校に行くなといって、神棚の前に正座を強制されました」

 

ミズノ先生「それはびっくりしましたね。学校にもいけなかった」

 

サブロー「それだけではないのです。比較された子どもは万引きの常習犯でした」

 

ミズノ先生「それは悔しかったですね。サブローさんは、いい子になりたいと思って勉強もしているし、おとなしくして優等生だったのに」

 

サブロー「今から思うとおかしなことですね。父親は、それほど私に関心がなく、友達の名前も知らないし、私が何をしているかちっとも興味がなかったんですよ。母親の死ぬ前の言葉で、あなたをどう教育していくか悩んでいたという一言でなぞが溶けました。母親がイライラして、それを父親にいいつけたのが原因で、父親は夫婦間の意志疎通ができないイライラを私にぶつけただけだったのですね」

 

ミズノ先生「一番迷惑をかけていたのは母親というのですね。母親のいつもの言葉と矛盾しますね」

 

サブロー「両親が共に死亡してから、数年後に謎が解けました。母親のぐちが父親をイライラとさせ、そのイライラを私にぶつけていただけだったのです。しかも、同じような言いつける事件が数回ありました」

 

ミズノ先生「それは、家族療法でいう不安の伝播という現象ですね。一番不安の高い家族のメンバーが不安を他者に伝播するのです」

 

サブロー「不安の伝播か。そう言えば、我が家は不安が高かったです」

 

どうやら、サブローさんは複雑な家庭環境で育ったようです。

 

 

 

サブロー「今朝、私はイライラを生徒にぶつけてしまいました。朝、妻のぐちでむしゃくしゃしていたので生徒のささいな言動を必要以上にきびしく𠮟つけました。感情をコンロールできませんでした」

 

ミズノ先生「大丈夫ですよ。生徒は寛容です。先生の足りないところを補ってくれています。サブローさんを赦しているのですよ」

 

サブロー「確かに、私は生徒の寛容さで救われているのですね」

 

ミズノ先生「世界は真空で出来ていないと言われています。必ず他者がいて、他者とのやりとりで生活しているのですよ。サブローさんは、父の欠点を指摘して矯正しようとしているわけではなくて、欠点を受け入れて、大きなトラブルにならないように補っているのですよ」

 

サブロー「そう言われてみると、私は欠陥を修正しようとやっきになり、正義という名目で他者攻撃するということもあるし、足りないところを寛容に受け入れて、補っているという一面もあります」

 

ミズノ先生「老子は陰陽道といって、世界は陰陽でできていると言っています。人間関係は、陰陽ですね。サブローさんは教師をしているので、学校では教師です。でも、家庭でも教師をしていますか?家族の中に教師がいると家族の人には迷惑な存在になりますよ」

 

サブロー「自分の嫌なところ、弱くて醜いところはできるだけ削り取って、光の部分だけ生きていたいです。だから、人に迷惑をかけたと思うと自己嫌悪感が出てきます。だめな自分が嫌いになります」

 

ミズノ先生「道徳の教科書は、光る自分でいましょうと教えてくれます。でもそれは事実に反する道徳ですね。光るところがあるのは、濃い影があるからですよ。自分の影から逃げて月にいっても影はついてきます。あらなければいけない世界(ought to)とある世界(sein)は、別物です。それで多くの人は苦しむのでしょう」

 

サブロー「迷惑をかけてはいないは、あらなければいけない(ought to)世界の話しで、迷惑をかけなで生きることはできない(sein)は現実の世界の話しですか?」

 

ミズノ先生「サブローさんの多くの悩みの根源は、この2つの世界の衝突ですね。うあい具体に調和されていないので、サブローさんの生き方が多少つらくなっているのです」

 

サブロー「それは複雑です。簡単に善なる世界と悪の世界と割り切れたほうが明快ではないでしょうか」

 

ミズノ先生「世界は思ったよりも複雑です。複雑で理解尽くせないのが道徳です」

 

 

 

『大学』という本に、日々に新たなりとあります。古代中国の湯王が金盥にこの文字を刻み、毎朝顔を洗う際に自分に言い聞かせていました。毎日生まれ変わって新しい気持で生きていくという心構えを意味します。自分の欠点を少しずつ減らしていく生活です。その反省のプロセスは理解できますが、結局、完全無欠な人間になるわけではありません。今をもう少し緩やかに生きるとなると、「迷惑をかけて、ありがとう」になるのではないでしょうか?

 

 

 

サブロー「迷惑をかけて申し訳ありません。これが言いたくなくて苦しいです。このままでは、一生涯迷惑をかけ続ける人生です」

 

ミズノ先生「確かに、生きているだけで誰かの迷惑になっています。一方で迷惑をかけられたのでありがとうということがありますよ」

 

サブロー「それは何ですか?迷惑をかけたらごめんなさいでしょう。迷惑を喜ぶ人はいません」

 

ミズノ先生「本当にそうかですかな? 迷惑の種類に関係しますよ。意図的は、悪意ある迷惑はいやですね。一方、かわいい迷惑、思わぬ迷惑、かけてもらいたい迷惑などがあります。そんな迷惑は、人をかかわれるチャンスを与えてくれます。誰かのために何かできた、役に立った経験は嬉しいものです」

 

サブロー「そんな、お人好しの人がいますかね。誰もが自分のことだけで精一杯に生きています」

 

ミズノ先生「そうですね。そして、寂しい人生を生きていますね。私もそんな人を知っています。人にサービスすることは無駄だと思って、何もできない人がいました。私が退職するので、欲しい本はもっていっていいよと言ったら、数冊本をもっていったのはいいのですが、一言もありませんでした。もらうことで与えることもできるのです」

 

サブロー「迷惑をかけて、与えることができるのですか」

 

ミズノ先生「いいポイントです。与えることはもらうこと、迷惑をかけるのはうれしいこと、決して不快なことではありません。人間関係は相互補完です」

 

サブロー「なるほど、相互補完ですか。もらうことは与えること。申し訳ないとありがとうは相互補完」

 

ミズノ先生「ありがとうと言わないで、申し訳ありませんという言う人もいますね。申し訳ないとありがとうは案外に意味が近い言葉なのでしょう」

 

サブロー「それでは先生は、人に迷惑をかけてもいいと言うのですか?」

 

ミズノ先生「もちろん、いいでしょう。迷惑のかけ合うのが人間関係の本質です。関係性によって迷惑がひどく嫌なものになり、あるいいは迷惑が楽しい場合もあります」

 

サブロー「なるほど、同僚に嫌な人がいて、その人がなぜ嫌いなのか理解できるような気がします。この人が誕生日なので、会食の席で誕生日ケースを出してもらいました。彼は一言も言葉を発しませんでした。後で、どうしたのか聴いたところ、『何といっていいのかわからなかった』というのです。気の利かない人で、私が定年で持ち物を整理しているときに、欲しい本があればどうぞいったのです。翌日、彼は自分が欲しい本を自分の場所に動かしていました」

 

ミズノ先生「なるほど、気の利かない人はいますよね。何か特別な事情があるのでしょう」

 

サブロー「私が新任の教員だったときに、ベテランの教師が『明日から1年間、30分前に出勤して、皆の机を拭くようにと命じました。はい、といって1年間そのようにしました。この同僚は、人の机のほこりを払う人ではありません。自分の業績だけを考えています。他者へのサービスは損になると思っているようです』

 

ミズノ先生「そのベテランの先生は、愛情で命じたのでしょうね。自分もしてきたし、サブローさんにもそうしてもらいたかった。生き方でしょうね」

 

サブロー「始めは、いやな人だと思っていました。朝、職場の人の机を拭いているうちに、その人たちに愛情が増してくるのです。不思議な感覚でした」

 

ミズノ先生「それは面白いですね。強制して掃除させられているのに、周りの人への愛情に転換するのですね。それは迷惑をかけないという多少ネガティブなものと違い、ポジティブは感情ですよ」

 

サブロー「ある程度、人とかかわるというのは迷惑でなくて、必要なことですよね。父は私に愛情があるわけでもないのに、教育する、躾けることが名目で暴力を振るいました。説明がいっさいありませんでした。私が覚えているのはあわただしく去っていく父の後姿だけでした。くやしさだけが残りました。その後2日間も学校に行けずに、引きこもっていました」

 

ミズノ先生「そのつらい思いは、まだ残っていますね。サブローさんの人生いうスープに塩味という基本的な味付けをしたようです」

 

 

 

子どものころの情緒経験は、ギリシャ劇のバックコーラスのように基調となる旋律を輪唱のように何回も繰り返して響き、サブローさんの基本的な情緒を構成したようです。このような悲しみを伴う情緒体験は、ポジティブ転換することでサブローさんを動機着けることが可能です。サブローさんは、すでにポジティブ転換をしていました。他者に迷惑をかけないという強い思いです。いわれのない、理屈に合わない叱責の痛みが、他者への思いやりに転換しました。時には、過剰反応して怒りになることもあるので、コントロールすることが課題になります。

 

 

 

今度の訪問者は、多少やっかいな課題を提示します。ハチロウさんは、定年退職まで自分をブルドザーに喩えるような人生を送ってきました。ところが、定年退職するといわれのない寂しさを経験します。

 

ハチロウ「定年退職して寂しさを感じることの一つに、勤務評価がないということがあります。私がまるで存在しいようなに、誰も私のことに気づかないようで、私は透明人間になったような気持ちです」

 

ミズノ先生「なるほど、自分の存在が見えない、意見を聞いてくれないので、透明人間になり、ときどき自分が存在しないのではと弱い気持ちになるようですね」

 

ハチロウ「働いている時は、弱い人、負け犬のような人を嫌っていました。競争に打ち勝つことがテーマでした。負けるときもありましたが、競争に勝つという勝者の喜びを感じることができます。ところが、このごろは私の嫌いな負け犬になっているのです。自分が好き人なれません」

 

ミズノ先生「なるほど、いままでの生き方では通じないのですね。まるで異星人のように感じているのでしょうね」

 

ハチロウ「定年退職をするとまるで別の生き物になるのでしょうか。若いころにもどれないことは知っていますが、せめて自分を誇りに思えるような人生で終えることを願うのは、欲張りなのでしょうか」

 

ミズノ先生「ハチロウさんは、自分のできることを精一杯努力してらっしゃいました。それは尊い努力です。お釈迦さまもいっていますが、生々流転の世界では、同じことがそのまま続くことはないのでしょう。時の移り変わりに適応して自己も変化することで生きるのが人生なのでしょうね。変化の中で新しいことに気がつくことが可能です。不思議なのですが、制限された分、世界が広がるのです」

 

ハチロウ「意味がわかりません。ブルドサーは、喩えさびてもブルドザーとして前に進んでこそ、自分の与えられた人生を堂々と生きることでしょう」

 

ミズノ先生「なるほど、そういう考え方も一理ありますね。ハチロウさんは、自分の生き方を貫きたいという思いが強いのでしょうね。それでも、ハチロウさんは最初に本当の気持を伝えていますよ。人とつながりたい、人から評価されたいと言っていますね。本当の気持ちで人とつながる可能生は広がっていますよ。ひとつの可能生が狭まると、別の可能生が増すのでしょうね」

 

ハチロウ「確かに、仕事をしているときに気がつかなかったことを発見することがあります。他の人がどのように考えているかは、あまり興味がなかったのですが、この頃やけに気になります」

 

ミズノ先生「 弱さは克服すべき欠点ではなく、人とつながるための資源である、とあるカウンセラーは言っています。ハチロウさんが生きてきた世界を測る物差しと、今の生活の質を測る物差しが違うようですね。弱さを受けいれることで、真の強さにつながるともいいます。ブルドザーがもっと活躍するためには、弱さを味方にして活動する新しいやりかたもあるのでしょうか」

 

ハチロウ「なるほど、世の中は少数の生き残り者と多数の弱者でできあがっているというのですね。弱さに学ぶでしょうか?何が学べるのでしょうか?」

 

ミズノ先生「そのことを話し合いませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田清一『弱さの力』講談社文庫 2014

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3章 腐ったリンゴ

 

人には2面性があるというので、ジギル氏とハイド氏(Strange Case of Dr Jekyll and Mr. Hyde, 1886年)の話しが書き上がりました。医師、ヘンリー・ジキル博士は、「邪悪な側面」を薬によって分離し、ハイドという邪悪のみの人格を生み出すことに成功しました。どの人間にも悪が潜んでいるのです。

 

 人間の心に潜む邪悪は、ジンバルトによる監獄の実験(1971年)でも実証されました。大学のキャンパス地下に監獄を設置して、実験として看守役割と囚人として監獄に監禁される役割を課す2つのグループを実験として作成しました。実験は6日で中止となりました。原因は、看守役割が想定を超えた邪悪な行為を囚人役の人に課したのでした。この実験がトラウマとなった囚人役の人は長いこと苦しみました。

 

 監獄の事件は、心理実験として計画されて実施されたロールプレイでの結果、生じた危害でした。ところが、20045月に善良なるアメリカの兵士が、アブグレイブという施設でイラクの捕虜に対する残虐な行動がスクープされて新聞記事となり世間に公表されました(Abgraib,20045月)。報道された写真では、イラクの捕虜を裸にして人間ピラミッドを作り、側では裸の兵士を侮辱する女性兵士が写っていました。善良な女性兵士が性的な虐待に加担するのは、どういう理由があるのだろうかと疑問に思わせる新聞報道に世界は驚きました。

 

人の心に欠陥があるならば、教育で矯正できるのだろうか。あるいは、人の置かれた状況がそうさせるからなのだろうか。そうならば、軍隊の秩序や確保するなどで防止できるだろうか。社会のシステムが悪を必要としているからとおもうならば、悪を作る社会システムを改善する、権力の集中による腐敗を防止するなどの方策が必要となるでしょう。それとも、人間の心はそもそも悪なのでしょうか。

 

 

 

この章でのミズノ先生に面接を申し出たのは、ある高等学校の教師である阿久先生です。阿久先生は、30代の熱血教師です。

 

阿久さん「ある生徒と話していたらタバコ臭いので、タバコのにおいで臭いよ、といったらその生徒がいきなり態度を変えて、先生のくせに生徒を信用しない教師のかとすごみを利かせて脅してきました。私はただ単に事実をいっただけなのに、いかにも私がいけないことをしたように強く糾弾するのです」

 

ミズノ先生「それはびっくりしましたね。その生徒がタバコを吸っているといったわけではないの、過剰な自己防衛になっているのですね」

 

阿久さん「そうです。驚きました。いつもは模範的な生徒なので、リーダーとみなされていた子です」

 

ミズノ先生「模範的なリーダーが取るべき態度ではないですね。それはびっくりしたでしょう」

 

阿久さん「学校の生徒指導部の先生たちは、かなり強い指導をしています。いつも、腐ったリンゴは排除しなければといっています」

 

ミズノ先生「腐ったリンゴ理論ですか。同じ箱のはいっているリンゴがひとつでも腐り始めると他のリンゴもみんな腐ってしまうという論理ですね。阿久さんは、それは信じていないようですね」

 

阿久さん「生徒は、本来、純真な気持です。自浄努力ができて、お互いに注意することで切磋琢磨できると思っています。でも、ほんのささいなコメントが大きな反感を呼ぶとは、おどろきです。いったい何が起きたのでしょうか?」

 

ミズノ先生「社会の圧力という影響があります。生徒を理解しない教師がいるという集団思考の連鎖があると、「無理解な教師には反抗してもいいのだ」という集団思考に従うということもあります」

 

阿久さん「なるほど、生徒指導は生徒に罰を与えれば、学校がよくなると思っているようです」

 

ミズノ先生「個人の行動は単独でなくて、どうやら背後に集団の圧力があるようです。阿久さんはどう思いますか?

 

阿久さん「集団の圧力ですか?確かに、背景には集団が見え隠れしています。生徒が強く出る場合は、恐らく一人ではなくて数名の仲間がいるとは思います。集団心理については、どのくらい明確にわかっているのでしょう?」

 

ミズノ先生「いい質問です。学校は、個人に対して、同時に集団に対して働きかけます。道徳は個人の課題にされることが多いのですが、実際は集団の課題であることが多いでしょう」

 

阿久さん「生徒の悪に対処するときは、目の前の個人しか考えていません。個人の指導が大切だと思っています」

 

 

 

ミズノ先生は、カウンセリングでは珍しいのですが、論理的に説明を試みることにしました。というのは、阿久さんは道徳教育や公民を教えている社会派の先生だからです。

 

 

 

ミズノ先生「ルワンダでの虐殺は記憶に新しい事件です。ツチとフツの民族対立による虐殺事件は、人間の弱さや悪意が原因とされています。19944月から7月までの間に80万人が斧で虐殺されてしまいまた。というのは殺人者が同数いるわけになります。世界は80万人の虐殺を止めることができなかったのでした。国連軍もただ傍観したいただけでした。隣人が突然に殺人者になったのでした。この事件は、人殺しという悪人が隣人として多数存在するということを証明するのでした」

 

阿久さん「それって、希望がなくなる事件ですよね。人間は、本来は悪の存在ということでしょうか?」

 

ミズノ先生「どうやら他の説があるようです。ベルギー政府の植民地統治で、ルワンダの民族を2つに分類して、優秀なツチ属とそうではないフツ属として身分証を持たせて、対立構造を意図的に構成したという説が有力です。ツチはゴギブリだから殺してもいいとメディアで宣伝し、虐殺をあおりました。住民は疑問に思いながら殺戮行動をしたのですが、認知を行動に一致させるために「ゴギブリを殺してもいいのだ」と認知を変えました。 自己の道徳的判断が正しいかどうかを迷い、周りの判断に一致させるように行動や判断を修正することで、虐殺に加担する正当性が生まれて、虐殺行為が強制されたのでした」

 

阿久さん「怖いですね。他民族に対する偏見がベルギー政府の政策で助長されたんですね。このような集団の悪は、誰の責任になるでしょうか?」

 

ミズノ先生「責任の分担が行われて、誰の責任か不明になるでしょう。また、多元的無知と専門的に呼ばれる現象が起きています。つまり、他の人が殺人を止めないのは、止めなくてもいいのだと解釈する傾向が生じます」

 

阿久さん「それでは、生徒個人がいくら道徳であっても、誰でも殺人者になるというのですか?怖いですね」

 

ミズノ先生「確かに、集団心理を知らないといくら個人的には道徳的でも、どのよう行動が善なのかも迷ってしまうことが多いでしょう」

 

阿久さん「生徒は集団の圧力で教師に挑戦しているのですね。確かに、多くの生徒が日常的にタバコを吸っているならば、規則に違反しているとは思えませんね。どちらの社会がマジョリティかで善と悪が決まるようなものです」

 

ミズノ先生「阿久さんは、個人道徳を大切にしてきました。しかし、人間の行動は個人道徳だけでは説明ができないのです。社会の中に生きるのが人間の運命です。社会に適応して、創造的に、責任をもって生きるのが人類の特徴でしょう」

 

 

 

会話が悲観的な宿命という方向に進みました。希望が見えなくなりました。そこで、ミズノ先生は会話を別の方向に転換しました。実は、ルワンダには別の社会正義の仕組みがあったのです。

 

ミズノ先生「ルワンダを救ったのが、アフリカの伝統的な争い事の解決方法である「ガチャチャ」法廷とゆるしでした。アフリカには伝統的に広場(ガチャガチャ)で加害者と被害者が村の長老の前で、加害者が罪の告白をして、被害者にゆるしを乞う伝統がありました。殺人者は、被害者のために家を建てて、農地を耕すことで赦しが提供されたのでした。殺人のような過ちも、関係を修復することで、同じ村の住民として暮らしていけるのです」

 

阿久さん「罪は同じ程度の罰を与えることで正義が実現するのでしょう。いったい、正義はどうなったのでしょうか」

 

ミズノ先生「確かに、報復正義の原理は犯した罪と同じ罰を与えるという原理です。ここでいう伝統的なアフリカの民間法廷は、修復レンズ正義を実現しようとします。

 

この修復レンズでは、悪は人間関係を破壊することです。ゆえに、人間関係を修復する責任は、破壊者にあるのです。相互共存と相互を尊重する社会では、報復ではなくて改悛とゆるすことを原則とします」

 

阿久さん「修復正義ですか。考えたこともありませんでした。どんな生徒でも規則に反した行動をすれば、処罰されるのが当然だと思っていました」

 

ミズノ先生「日本の伝統では、そうではないのですよ。私が子どもだったころ、学校では集団責任といって、クラスの誰かが校則違反をすれば、全員が責任をとってトイレの掃除をしました。当時は、何で他の人の罰を全員でうけるのだと不満に思っていましたが」

 

阿久さん「日本にもそんなことがあったのですか。そんなことがあると現在ではクラスの全員から反感を買います」

 

ミズノ先生「集団責任という考え方は、環太平洋の島々に住む人に見受けられる習慣でもあります。たとえば、ハワイでは「ホーオポノポノ」といって、当事者である加害者や被害者だけでなくて、住民全員が自分の責任について語ります。周りの住民は一人一人自分の責任を語ります。たとえば、私は何も注意できなかったという責任がありますなどと」

 

阿久さん「それはすごい、関係のない住民が自分の責任を語るのですか。もちろん、当事者は自分の責任について語るのでしょうね。被害者はどう語るのですか」

 

ミズノ先生「加害者が反省をするかどうか気になりますね。最初に何が起きたのかを確認します。次に、なぜ起きたのかを探求します。これは、主体ある行為といって、当事者が選んだ行為です。主体がない行為は、何もしなかったことへの反省です。そして、次にどのように行動するかの決意を述べます。長老は、象徴的に紛争は解決してことを告げ、皆で椰子の実を分かち合います」

 

阿久さん「南太平洋の島々で、そんな風習があるのですね。日本にも主体がない人の行為、つまりしなかったことへの責任があるのですね。びっくりしました」

 

ミズノ先生「ハワイの小学校では、今でもホーオポノポノを実践しています。紛争解決のひとつのアイデアです」

 

 

 

タバコ臭いといった生徒の態度の話しからミズノ先生の話しは、人間の心の課題へと展開しました。ミズノ先生には、青年教師だったころ、苦い失敗の経験がありました。いじめがあったので、いじめた生徒に処罰を科したことがありました。その3年後、いじめられている子が、大学でバイクの事故で全身が不自由な身体になりました。現在、振り返ってみると、いじめているという子に対する憎しみが強く、いじめられているという子への同情が過剰だったではないのかと、悔やんでいます。いじめられている子は、あまりにも自由になり抑制できない状態になったのは、ミズノ先生の指導にも責任があるのではと悔やみになっています。何か事件があると、加害者は誰で、被害者は誰なのかが問題になります。しかし、実際は被害者も加害者もともに大きな損失を経験したことは確かな事実です。

 

 

 

次の相談は、また学校の先生で善さんです。善さんは教員経験が10年になります。

 

中堅の教師になりました。善先生の相談は教頭との関係についてです。

 

 

 

善さん「教頭のことが尊敬できなくて、いつも嫌な経験をします。先日なんか、私を悪の頭のように扱い、自分だけが正しいという態度で私を叱りつけるのです」

 

ミズノ先生「どうやら、その教頭先生は世界を善と悪の二分法で決めつけているようですね。その教頭先生は、強い者にへつらい、弱い者に威張る傾向はありますか?」

 

善さん「え、どうして分かるのですか?校長にはペコペコ頭をさげて、完全に服従しています。でも、私たちの普通の教員にはいつも怒鳴りつけるような勢いで叱るという具合です」

 

ミズノ先生「権威主義的パーソナリティという研究があります。特徴は、偏見と差別意識です。こういう傾向のある人は、人間を序列化してタテの上下関係で捉えようとし、優秀な人物と劣等な人物とを区分しようとします」

 

善さん「ほ~、権威主義的な人はどこでもいますね。でも、どのようにお付き合いできるのでしょうか?あまり、かかわりたくないですね。野球でいいと敬遠ですね。敬い、なるべく遠くにいるのがいいでしょうね」

 

ミズノ先生「賢い方法ですね。もう少し、考えてみましょう。権威主義的人間は、その人の本質的なパーソナリティなのか、何らかの影響があるのか。第二次世界大戦でのナチスが権威主義的なパーソナリティに当てはまります。今では、少数の人しかいませんね」

 

善さん「人間の本質は、悪ですか、それても善なのでしょうか?流行があるのでしょうか?」

 

ミズノ先生「現代は、難しい課題に直面しています。望ましくない影響にどのように対処するかです。さまざまな権威が迫ってきます。個人は、それに染まるか、それとも距離をとるか決めることができます。阿久さんは、どうしますか?力による圧力に抗することができますか」

 

善さん「長いものには巻かれろといいますよね。逆らうのはつらいし、犠牲も大きいし、そんな勇気はどうしたら持てるのでしょうか」

 

ミズノ先生「巻かれたほうが安全に生きられるし、面倒も少なくなるというので、

 

自分の生き方を曲げたり、犠牲にしたりすることなく生きることはできます。

 

自分にとって利益があるからといって、危害のある行動を取らずに、利他的な行動はできます。このような行為を勇気ある行動、英雄的な行動ともいえます」

 

阿久さん「英雄的な人間でないので、利他的な行動はつらいですね。でも、何かも枠杖に注意することはできるでしょう」

 

ミズノ先生「自分で判断して、公正な正義権威にはしたがい、不公正な正義には従わない人は、少数ですが、いつも時代にも存在します。例えば、みんなやっているかといっても、誰かに害があれば、自分はしないという人もいます。集団に受け入れらことはOKで、自分の独立を確保することもできます」

 

善さん「力による圧迫や、ハラスメントに屈さない心は、どうしたら持つことができますか」

 

ミズノ先生「過ちを認めて、反省する力。未来から現在を見る視点を得ること。責任を受け入れ、できるだけ自分でいることが大切でしょう」

 

善さん「教頭は、自分の仲間と思える人には厚遇をして、仲間と思えない人には冷たくするというように公平性がないですね。結局、集団に染まっているので、自分がないのというのでしょうか。自分があれば、多くの人が誤った行動をしても、染まらないで自分らしく生きることは可能でしょうね」

 

ここで、ミズノ先生はジンバルトの最新の研究を紹介します。ジンバルトは、1971年の監獄実験で、看守という役割と権威によって、急速に行動が変化して、囚人役の学生に暴力的な虐待行為が発生した心理実験です。このような現象はルシファー効果(Lucifer Effect)を呼ばれています。ルシファーは悪魔の呼び名です。ところが、このような状況にもかかわらず、決して非道な行為をしない人がいることにも気がつきました。一般の人の英雄的行動も目撃できました。このような英雄的な行為については、あまり語られることはなかったのですが、ジンバルトは、一般の人の英雄的行為について研究を発表しました。

 

 1コの腐ったリンゴによって樽の中のすべてのリンゴが腐るのはなくて、リンゴが腐るのは樽が原因ではなくて、腐る人間がいることが原因でした。実際の人間は、どのような環境であっても、少数の勇気ある人間は、決して腐ることはありません。すべての人間が腐る原因は、リンゴを腐らせる樽のせい、あるいは腐っているリンゴが原因であると言い切ることはできません。腐らない勇気が持てる、ごく少数の人間になることが課題かな?

 

 

 

参考文献

 

ゼア・ハワード『修復的司法とは何か』新泉社 2003

 

水野修次郎・井上孝代『ワークブック「対話」によるコミュニケーション』協同出版 2017

 

サビカス・マーク、水野修次郎『ライフデザインカウンセリングマニュアル』遠見書房、2016

 

フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき 』月と海社、2015

 

有光・藤澤編『モラルの心理学』北大地書房 2015