嘘の正義、言い訳の思いやり
嘘をいうのに正義を使う人がいます。正当な理由があるというのです。理屈はどこにでもつきます。嘘か本当でないかは、正義ではなくて、慈悲や思いやりで見破ることができます。ケアする配慮のない正義は嘘です。
世の中に、偽善者が多くいます。カウンセラーの中にもそういう人がいます。偽善は、金メッキが目立ちます。メッキがはげると新の姿が見えます。
正義には自己犠牲がともないます。つまり、真の正義を主張する人には、主張することでなんらの利益もないことを知っているのです。嘘の正義は、自分をよく見せるために飾ります。
人の役に立つには、最初、痛さを覚悟します。痛いのです。辛いのです。勇気が必要です。犠牲を伴います。その行為の結果が不思議なのですが、大きな喜びに変化します。何にも勝る幸福感がやってくるのです。
正義と慈悲は別物ではありません。慈悲は仏教用語です。愛はキリスト教、仁愛は孔子。中味は同じものですが、表現方法が異なります。
私はいい人ではありません。悪い人でもないと思います。人を傷つけることもあります。自分もボロボロになることもあります。しかし、嘘の正義は主張しません。自分に不足するものが多いので、わきまえています。人を修正することは、私にはできません。私にできることは、何か光るものをその人の中で発見して、私にはないなとうらやましく思うことです。そのことを口に出して、大きくして贈り物の箱に入れて、リボンをつけて、もらったものを贈り返します。
むかし、ある恩人たちが、私の贈りものを、そのまま返送してきた人たちがいました。まるで、あなたとは絶交というのです。
驚きました。そんなことが出来る人たちががカウンセラーなのです。人の善意を信じて、受け入れて、人の幸せを願います。
私たちは、いつでも人に贈り物をしています。中味はもともとは、その人の者ですが、今はきれいに包装された贈り物になっています。つまり、私は人からいろいろ教えてもらっていることを、お返しするだけなのです。
やすっぽい正義は必要ありません。人を傷つけるだけです。
人は弱さで結合しています。弱いから仲間になるのです。強い人は、弱さを上手に使えません。従って、弱さは思いやりにつながります。
7月26日にサンディエゴでNCDA(全米キャリア発達協会)で研究発表をします。論題は、
職場の所属感を強化するコンフリクト解決スキルトレーニングです。
職場では、Diversity,Inclusion, & Belongingsが課題になっています。特に注目するのは
所属感覚です。愛着とのいいます。
職場への愛着が不足しています。キャリア意思決定の一要因は、キャリア関係性です。
仕事、職場の人間関係、会社、仲間などの愛着がキャリア決定に重要です。仕事は、諸語との中味
だけでなくて、どのような職場とどのような人を働きたいかが課題です。
6月にはボストン大学からBlustein教授が招聘されます。働くこと(working)は人間にとって
生きる意味にもなります。careerにはどことなく業績、成功、繁栄と言う意味が関連していますが、
workingには、働くことそのものに人間活動の原点があるという研究です。
働くには、働く職場環境が大きな影響があります。愛着はやはり人間にとっては、重要です。
さらに、ストレス解決スキル、対人コンフリクトのマネージメントができない現代人にとっては
働くことが大きなストレスになります。
私の研究では、mediation訓練によって、働く環境が大きく改善できて、愛着も増進します。
『コミュニケーションリテラシーの教科書』参照してください。
研究所開始のころにある大学教授が研究所をバカにして、何もできないと言い切りました。
その予想を裏切って、実力のあるキャリアカウンセラーを育成しています。また、予算をカウンセラーの育成や研究事業に
投資しています。大学教授の予想を裏切って実質的な効果をあげています。
また、研究は大学の独占であるかのように言っていた人の予測を裏切り、キャリア実践者が研究を進めることで臨床力を
大幅にアップすることも実証できました。
ステレオタイプに落ちることなく、可能性を探求したいです。研究することは、臨床と同じことです。仮説を立てて実証する
態度は、カウンセリングと同じです。クライエントの概念化ができるようになります。それに、真実に対して謙虚さも育成できます。実践者のほうが大学の研究者よりも謙虚に、しかも研究参加者を尊重する態度が見受けられます。
いつしか、このような地道な努力が認められるでしょう。
去るものは追わず
去る人の繁栄を願う。さまざまな理由で私から去った人々がいます。私を軽蔑する人、嫌う人、意見が違う人。それぞれが自分の正義を基盤にして判断します。どのような理由であれ、私は去った人の繁栄を願っています。すべてが、私の欠点が原因です。
去る人がいる度に、自己内省をして、自己変革をします。人生は最後まで反省の日々です。完全でないことが、かえって魅力になることもあります。To err is human, to forgive is devine.
生きることはつらいことで満ちています。やることがあるからこそ、生きれるのでしょう。つらく当たる人がいることは、恵となり生きる意味を与えてくれるものです。すべての人が幸せになる権利があります。去る人がいるからこそ、私は強く生きることができるのです。本日も自己の欠点と向き合います。そして、楽観的に生きましょう。一瞬の喜びあれば十分に生きていけます。
おいしいもの、人と話す喜び、人を理解するよろこび、また反目するよろこびもあります。多様性は必要です。そして、誰でもくるものは拒まないinclusionも必要です。そして、ゆるすことの必要性。自分をゆるすことは一番難しいことでしょう。
さようなら、そしてありがとう。
世界は嘘で満ちています。人々の言葉も嘘が着飾り、まことにキラキラと輝き、善人を装った装飾であふれています。
正しさを主張する人は、光だけを取り出します。光が強くなりと影も濃くなります。
嘘は、「あなたのことを考えているのよ」「あなたには穏やかで、平和な世界に住んで欲しい」などとやさしい言葉で語りかけてきます。ところが、真実は冷たく、残酷で、特には不親切で、着飾りをしません。人は、嘘を好みます。
やさしさやケアは見せかけで、それらしく見せることが可能です。多くの人は、それらしいものを好みます。
最近は、AIも嘘を好みます。AIに会議の要約を依頼すると、美辞麗句で答えます。いわゆるそつがない応答です。
人間カウンセラーは、悩みます。不器用で率直で、嘘を言えないからです。真実はハードで、受け止めるにはそれなりの
能力と人間力が必要でしょう。
この悩みは大きくて、嘘と真実のはざまを埋めることは難解です。カウンセラーは、このような葛藤から自由になり、
嘘でもなく真実でもなく、この葛藤を超越したいと望みます。正義とケアリングは同じものです。真実がケアリングになるのでしょう。
今日も、多くの人の悩みにつきあいます。それは私の悩みでもあります。
人を理解すること
理解できないことや人があふれています。複雑で、知らないこと、知り得ないこと、知ってはいけないことがあります。理解したと思うと、すでに次に進んで別なものになっています。すべてが、途中の理解です。
知ったと思い見限る人、あるいは軽蔑する人がいます。カウンセラーは、理解できないという限界をわきまえます。未知の世界を大切にして、これからの展開への余地を残します。
かつて、ソクラテスが無知という知について語りました。知っていると思うことで、人生の楽しみは半減します。科学でさえ、
新しい知によって根本的なパラダイムが変化します。知っていると思うと、新しい発見ができません。想定している結論に戻る
確信を不構えるだけのオキーシーモーロンに陥ります。検事や新聞記者がいつもすることは、フレームをあらかじめ決めて
想定した仮説に当てはまる情報のみを得たいと思い想定に導かれた思考をします。勉強に忙しい人は、考えることをしません。
新しい情報のみを求めます。カウンセラーは、未知にとどまり、理解を深めます。時には、想定していない事実も顕れてきます。
私は、まだ人を理解していません。安っぽい正義感や、知識が害になります。
人を修正したいと思う気持には注意しましょう。人を修正することはできません。人は内側からの気づきで変化します。
外からの圧力には抵抗します。安っぽい忠告をする人には、注意したいです。
小さな得を捨てて大きな得を得る;小さな得と捨てることができないので、大きな得を逃す
失ったものは大きい。私は、過去に多くの人が小さな得と重んじて、大きな得を得ることができない事実に遭遇しています。
損することは、大きな益を得るための必要なプロセスだと思っています。
多くが、目の前の得を手に入れることに翻弄して、本当な大きな獲物を取り損ねています。大きな獲物を得るためには、
小さな利益は捨てましょう。小さな利益の代表がプライド、顔、こだわりです。大きな益を得るには、痛みが必要です。
男女の愛も同じです。大きな愛を得るためには、小さな利益を捨てます。いつも破綻したり、終わりを迎える恋愛は
小さな益を得ようとしての闘いの終焉です。
かつての私の友人は、私の贈り物を送り返してきました。まるで、男女関係のようにあなたとは絶交という意味を表現する行動です。受け取ることができない人は、与えることもできません。ありがとうの一言でいいのに、それが言えない人は、大きな損失に気が付きません。
生きる本質は、このように逆説になります。
複数のアイデンティティを生きる
アイデンティティは実は複雑で複数あります。
多声が各自の中にあります。こころは、実は国会のように様々な声が飛び交っています。どの声が大きいのでしょうか?
どの声が説得力があるのでしょうか?あるいは、理性を代表し、過ちが少ない声に従いますか?
陰陽には、光の子を闇の子がいます。どれが自分を代表するかは、複雑な状況によって決まります。
人生は、選択の連続です。決めて選んで、コミットして、行動して、その責任を負います。ベストの決断をする自分、次善の策を選ぶ自分、あるいは理想を追い求める自分もいます。人間は同時に3つの部屋に生きています。どれも自分なのです。
アイデンティティは複数あるのが自然です。正反合の世界です。自分で思う自分、それに反する世間の意見、それを統合して調整する自分がいます。20世紀は、世間の評判をコントロールする必要はありませんでした。世間の評判がその人の価値を決めたからでした。21世紀は、積極的に評判を構成する必要があります。20世紀は、自分の在り方で生きることができました。自分を変えることで適応できた世界でした。ところが、21世紀は個人を枠を超えることが起きています。第三次産業革命が進行しています。このような変革の時代では、取り残される人が多数になります。落ちこぼれを防ぐ社会制度構築が必要です。
このことは、また別の機会に論じたいです。複雑な社会で、複雑な自分がいるのが現実です。できることは、選択をうまくすることです。選ぶことで、自分を構成していきます。
それには、無意識なことを意識して、選択して、意図にして、人生をデザインするために、課題を修得する人生に構成することが必要です。仮に決めればいいだけです。選択はいつでも変更できます。
まだ生きる価値がある―出し抜く価値 真のアウトスマート
英語にoutsmartという言葉があります。相手よりもスマートに生きて出し抜くという意味になります。自分が賢いと思っている人は、無意識で他者を軽蔑します。あるいは、現実よりも軽く評価する傾向があります。 若い人は、野心もあるので時には動機付けとなりいい意味にもなります。
ここでは、最近私が経験したことを記述します。スマートさを他者に印象付けたい人は、無意識で「私のほうがうまく生きています」と主張しています。笑顔、しぐさ、言葉のあちこちでアピールしています。真のスマートさは、いぶしぎんでピアピカさを感じさせません。
私が初心者の教師のころに、英語のスペルを間違えて黒板に書いたことがあります。大きな字を書くとノートに書き取るのは違い、別の難しさがともなうものです。ある生徒は、静かに辞書を取り出し、その後にクスという笑顔を残して、あとはサイレントです。私はその笑顔を見て、黒板文字を見直して、間違いに気が付き、修正しました。普通は、鬼の首をとったかのようにけたたまく、「先生、スペルが違います」と大声で指摘するします。
本当に賢い生徒は、それとなく知らせてくれた、何事もなかったかのように自分の過ちを静かに訂正することを可能にしてくれます。かつては、このような静かな意思の疎通が可能な時代がありました。
ところが、このごろのスマートな人は、とにかく派手でけたたましいのが特徴です。少しのミスをもってして、まるで「あなたは生きるの値しない」と言うがごとく還付なくやりこめます。さらに、正義をあたなも当たり前に要求し、かしこさを売り物にします。長年教師をしていると、10年や20年の先を見通してこのような人物の行先を予測できるようになります。スマートさを売り物にする人たちは、ほんの一瞬輝きます。その後には、悲しい出来事が待ち受けていることが多いので、そのような人に悲しを感じることがあります。
大きな成功には、謙虚さが伴いなす。人を修正するというのは、ほとんど成功しないでしょう。報復正義はすたれます。
修復的正義は、結果的に成功をおさめます。正しいことをしても、処罰するだけでは、結局正義の実現になりません。
人間にとって正義を実現する機会は、関係性が壊れて、それを加害者と被害者が協力して関係性の修復が実現するときです。真のスマートさは、癒しで発揮されます。ケアすること、ケアリングは、正義の実現と同じことです。
自称スマートな人に警告します。思いやりを実践して、協働して生きていきましょう。スマートさは、別なところで発揮できます。

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